参加アーティストにスペシャルインタビュー!
第10弾は・・・「西村亮哉」
ーーまず、西村さんが音楽を始めたきっかけについて教えてください。
一番最初に音楽を始めたのは小学校4年生のとき、部活のオーケストラでコントラバスをやっていました。出身の福島県郡山市は音楽の街「楽都宣言」をしていて、小学校にフルオーケストラの楽器があるような街でした。
ーー最初はギターではなかったんですね。
はい。ギターを弾き始めたのは小学校6年生の時です。
親戚の結婚式の余興でオリジナルソングの弾き語りをしている人がいて、それに憧れて祖父の家にあった古いギターを貸りたのが最初でした。
ーー弾き語りで活動しようと思ったのは何故ですか?
元々はthe pillowsに憧れて中学2年の時にバンドを始め、バンドでプロになりたいと思っていました。でもバンドメンバーが進学でバラバラになってしまって、活動ができなくなってしまったので、ひとまず一人で上京して弾き語りを始めたのが今日まで続いている、という経緯です。だから意気込んで弾き語りをやろうと思ったわけではないんです。
ーー活動を始めた頃から今までで心境の変化などは何かありましたか?
2017年の4月に上京してきて音楽活動を始めた時は、どの程度自分が東京で通用するのかを試したいという気持ちでした。
最初は根拠のない自信で福島から出てきて活動していたんですが、実際に1年活動すると、まだ全然少ないですが、でも確かに自分の歌を聴いて、必要だと言ってくれる人との出会いがありました。それがとてもありがたいし、自信の「根拠」を作ることができました。
夏に新潟の長岡へ30人ぐらいの大学生と花火大会を見に行って来たんですが、そこでライブをした時に友人たちが「Polaris」を合唱してくれて、めちゃめちゃ嬉しかったし、「こういう瞬間を作りたくて音楽をやっているんだ」と強く感じた瞬間でした。
初めは漠然とした自信、腕試しの気持ち、勢いだったものが、聴いてくれる人の存在を実感することで、音楽への向き合い方について自分なりの考えを持つことができるようになったし、他人との比較に苦しまずに、自分に作れる音楽を丁寧に作っていこうという気持ちを育てることができました。
ーー1年半ぐらい活動してきて日々出てくる言葉などを繋げて色々な曲ができていったと思いますが、今回のオムニバスアルバムの収録曲として「doodle in da dream」を選んだ理由は何故でしたか?
数ある曲の中から「doodle in da dream」を選んだのではなく、オムニバスへの参加が決まった時に、今作れる曲は何だろう?と問いかけてこの曲を書き下ろしました。
ーー「doodle in da dream」というタイトルにはどういう意味があるんですか?
まず「doodle in da dream」の「doodle」は「落書き」という意味です。「in da dream」は「in the dream」で「夢の中」。つまり「夢の中の落書き」。HIPHOPのスラングでtheをdaと発音したり表記したりすることがあるのですが、「doodle」と「dream」でせっかく「d」が二つ揃っているので、HIPHOPに倣って語呂よく「the」を「da」にしました。
音楽をやることがどんどん窮屈になってきていた時に、自分の救いになればと思い、付けたタイトルでした。
何をやるにも最初はみんな「楽しいから」がきっかけであることが多いと思います。例えば、漫画を描くにも授業中にノートの裏に4コマ漫画を描くとか、それだけで楽しかった。でも次第に作品が人目に触れるようになり、評価をされ、値段を付けられ、競争にさらされるようになる。創作の過程で、それまで自分の純粋な表現欲や楽しみたいという気持ちで湧き出していたものが、作品の外部に存在する要素によってその純粋さを失っていく。
自分は小学生の頃から自由に詩を作り、書き溜めてきました。けれど、最近では曲を書くとなるとその時点で既に「書いたら少なくともこの人たちの目には触れるだろう」ということが明確に思い浮かびます。ライブハウスの人やお客さんのあの人、お世話になってるあの人も聴くだろうというのを考えて、作品に対する過剰な自意識のようなものを持ってしまいがちです。「作品を出口で待ち受ける他者」という幻想が、創作を束縛したり、評価への恐怖を助長したりすることが少なくありませんでした。
でもそれは悲しいことです。だから、一番最初の気持ち、肩の力を抜いて、自由に楽しく落書きの様に詩を書いていた気持ちを守りたいと思った。そういった思いから、自分に宛ててこの曲を書きました。
ーー歌詞を見ると言葉がとても真っ直ぐで、想像しやすい歌詞になっていますが、今までの楽曲も含めて、西村さんが作詞作曲でこだわっているところがあれば教えてください。
コード進行は自分が気に入ったものを使いたい、ぐらいの気持ちですが、言葉は明確にこだわりたいと思っています。
曲によっても全然違いますが、最近は「景色が見える言葉」を意識しています。自分がどんな風に世界を見ているか、その視点を聴き手に共有したいです。
ーー「doodle in da dream」では特にどんな部分ですか?
今回の「doodle in da dream」では『夢から覚めて 急ぐ身支度 駆け足 飛び乗る満員電車 5分遅れの銀河鉄道に飛ぶ力はなくただ地を這うだけ。』という部分が気に入っています。
この部分のモチーフを思いついたのは確か去年の5月あたり。東京に出てきたばかりの頃に東京ドームに機材を運び込む日雇いのバイトをしていた時でした。上京してきたばかりなので息巻いてて、夢を持っているというか、俺はここでやってやるぞみたいに思っていて。そんな気持ちの時、バイトが終わった後の駅に向かう途中に、通り過ぎる満員電車を高架下から見つめていたときの景色なんです。
小さい頃から星とか星座とか宇宙とかそういうものが好きで、電車を見た時に銀河鉄道のイメージが出てきて。
銀河鉄道はきっと自分をまだ見ぬ場所へと連れて行ってくれる乗り物だけれど、東京で夢を叶えたい人は山ほどいて、その夢を実現するための列車は満員。そんな東京への「憧れ」と「現実」のギャップ、というか、そんなことを思ったんです。
東京ドームはアーティストにとって日本で一番の大舞台だけど、その一番の大舞台と、その足元で働いてる自分と、帰り道に見た満員電車。乗りたい銀河鉄道はあっても、今自分が乗り込むのは目の前の満員電車。
このギャップを、景色が広がるように、言葉で表現したいと思って書いたのがこの部分です。
ーー確かに歌詞として綺麗で景色も浮かんできますね。背景を知ると更に感じ方が変わってきます。
あともう一つ、「Polaris」という曲は自分の今の代表曲で、覚えてくれている人が多い曲かなと思っているのですが、あの曲はすごく抽象的なことを言っていて逆に具体的な現実の景色の記述はほぼしていません。でも、あるモチーフとか抽象的なフレーズが誰かに飛び込んだ時に、その人の記憶に散らばる断片がその言葉に吸い寄せられる様に集まって何かしらの感情を成すようなことが起きたらいいなと思って書きました。
大きな磁石を砂浜にポーンと投げると、無数に存在する砂の中から砂鉄だけがサーッと集まってきて磁石の周りに付くと思います。ここでは俺の言葉が「磁石」、人生の記憶の全てが「砂」、そして言葉を投げた時に吸い寄せらせてくる、言葉と親和性のある想いや想起されそうな過去の経験や記憶が「砂鉄」というイメージです。
「doodle in da dream」は経験や景色を見せたいというものだけど、逆に「Polaris」は言葉をその人の中に投影したときに、その人の心の変化をもたらしたりとか、考える枠組みが変わったりとか、今まで思い出していなかった記憶が、無意識から意識されるレベルへ引き上げられたりすることを意図しています。
ーーどういう時に曲ができて、どう受け取ってほしいなどはありますか?
映画を観ている時やライブを観ている時などには、感情を揺さぶる刺激を外側から受けて自分の感性が「開く」瞬間があって、感性が開くとそこから言葉が出てくるように感じます。
歌詞の役割としては広い意味で「翻訳」をしてるかもしれない。舞台の劇中歌を書いた時も同じように思いました。できるだけ脚本の中の言葉は使わずに、感情を言語化する。そこにある景色を言葉に変換する仕事のような意味合いで詩を書いているのかもしれません。
ーー西村さんの歌詞は「これを伝えたい」とか「自分はこれを主張したい」というものとは離れたところにあって、見えている景色や感じていることを再現しようとしているように感じます。
言いたいことをストレートに歌っているアーティストも勿論尊敬します。けれど、俺は散文的な文章で表現可能な、いわゆる「主張」のようなことを詩でやりたいという気持ちがあまりありません。
ーー西村さんにとっての歌詞はそういうものではないということですね。
はい。地元でお世話になった方とかに会うと、悩んでる高校生に向けてとか、誰かの応援になるメッセージソングみたいなものを書いてみたら?と言われる時はあります。でも多分求められてるものにならないと思って。もっと全然ぼんやりしていて良い、そこにあまり主張が含まれすぎていない方が良いなと思っています。
ーー今後の活動について、自分の中の音楽の物語をこれからどう綴っていきたいのか、また何か見えているものがあれば教えてください。
具体的にまずやるべきはCDを作ること。CDをリリースしてツアーで全国を回りたいです。何故かというと、音楽で最終的にどこを目指したいかというのがあまり分かっていないからです。それを明らかにするために、まずは多くの人たちの前で歌を歌ってみたい。
東京ドームでやりたいとか武道館でやりたいとか紅白に出たいとかっていうのが今のところはそんなに無くて。ただ、音楽をやってるのはすごく楽しいし詩を書いてる時とか作品ができた時はもちろんめちゃめちゃ嬉しいんです。でも、その感情と未来のビジョンが繋がっていません。志もまだまだ曖昧です。だからまず自分の未来を語れるようにするために、想像を掻き立てるために音楽を通して色々な人に出会うことをしたい。もちろん、会う時には会った時にその「出会う」ことの意味が最大化されるための土台を準備として整える必要がある。そのための音源です。
一方で未来について漠然と思っているのは、きっと音楽のプロフェッショナルとしてのみ生きていく人生にはならないだろうということです。自分の「音楽」という軸を強化しながらも、大胆に他のフィールドでも仕事に挑戦していきたいです。
長岡花火に行った時に、フィリピンに渡ってバジャウ族と結婚して暮らしている同世代の日本人がライブを観てくれました。こういった繋がりからもしかしたらフィリピンでライブができるようになるかもしれないし、これからも音楽のフィールドに囚われない面白い繋がりみたいなのがもっとたくさんできたら良いなと思っています。
ーー最後に、このインタビューを読んでくださった方に向けてメッセージをお願いします。
最近考えたことの中に自分が大切にしたいなと思ったことがあります。それは「経験というのは人と違うから価値がある」ということです。当たり前かもしれないけれど、この考えは深く腑に落ちました。
天窓でステージに上がっている沢山のアーティストを見て俺はたまに嫉妬をするし、ステージに立つ人に限ったことではないと思うんですけど、「俺もあんな曲を書ける経験をしておけば良かった」とか、「そういう経験は俺はしてこなかったな」とか、自分の人間性やバックグラウンドについて、無い物ねだりみたいなことをどうしても思ってしまうことがある。
けれど、どんな些細な経験であってもその人の中にある記憶とか景色はその人のオリジナルなものです。
例えばですが、幼い時に親と離れて育ったという経験は、単純にその経験だけで比較すると、いわゆる「普通の家庭」で育った自分の経験と比べて、強烈に濃い経験として目に映ります。つまり、過去の経験をその「事実」だけで比較をして、自分の人生はなんて薄っぺらいんだろう、と思ってしまう。でも経験の「意味」が分かるのはあくまで未来です。どんなありふれた経験もそこに意味を見出すのは今ここに生きる自分自身であるし、逆に言えば、どんな壮絶な経験も未来の自分の行いによって無下にしてしまうこともできます。だからきっと大切なことは、自分が通り抜けてきた時間をまずは自分が愛し、そこに自分が幸せに生きるためのヒントを見つけ出し、経験に意味を与えようとする態度を持つことだと思います。せっかく自分が持っている固有の時間を、他者との比較などによってまっすぐに見つめられなくなってしまっては勿体無いです。
どんな時に自分が幸せを感じるのか、そのヒントは自分が今まで経験してきた原体験の中に必ずあると思うし、自分の経験を肯定するところから幸せは生まれてくるのだと思います。そんな風に、歌を聴いてくれた人が自分の人生について立ち止まって考えるきっかけになるような歌を歌っていきたいです。これからもよろしくお願いします。
西村亮哉
HP:nishimuraryoya.amebaownd.com
Twitter:@theikasumi7
<Pick UP information>
「拝啓」
応募条件は約1分――。そして若者限定。
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多数の応募の中から見事、「最優秀作品」に選ばれた作品です。
–Story–
今日、この街を出ます――。
夢を叶えるために、地元藤沢を離れることになった青年が、旅立ちの日に思い出の場所を巡る。
そんな彼が、最後に思う事とは・・・
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楽曲は、この動画のために書き下ろしたオリジナル楽曲です。
青年の期待と不安の感情が藤沢の優しい景色の中で絶妙に表現されています。
歌と映像の織り成す、温かいストーリーをどうぞお楽しみください。
■product/三品万麻紗(慶応義塾大学総合政策学部4年) age.21
■music/西村亮哉「Sunset goes」