2014年 8月16日、四谷天窓にて開催された、「天CAS」 の第一回目。
ツイキャスで弾き語り放送を中心に活動していた少年少女達が夏休みを利用して集結したこの日、生まれて初めてとなるライブハウスへの出演を控え、不安と期待を浮かべながらステージに立った数人の人間の中に、当時はまだ「しいやん」という名前で活動をはじめたばかりの少女がいた。

時は流れ2016年4月29日、満員のライブハウスの中、惜しまれつつも活動休止を発表した「夏目栞」というアーティストがいた。

「しいやん」と「夏目栞」、少女とアーティスト、2人がどのような道筋をたどり、そして活動再開に至ったのか、四谷天窓と夏目栞との歴史を振り返るスペシャル対談が実現した。

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(インタビュー:になみ)

ー夏目栞の歴史を振り返るに当たって、僕と夏目栞の出会いはやっぱりツイキャスになると思うんだけど。

天窓のアカウントが急に私のツイキャスに来たんですよね。私のツイキャスのコメント欄に突然見慣れないアカウントからコメントがあって・・・アイコンもなんかハニワのアイコンだし、名前も最初は読めなくて、ちょっと浮いてて・・・

ー当時天CASというイベントで色々な方のツイキャスに四谷天窓アカウントでコメントしに行っていた時期だね。その当時は「しいやん」って名前だった。

めっちゃびっくりしましたよー!最初はライブハウスのアカウントだと聞いて「私なんかが申し訳ない」って思いながらやってましたよ。

ー僕自身が四谷天窓の仕事としてやらせていただいた初仕事がアレだったんですよ、人様のツイキャスにお邪魔しに行くっていう仕事(笑)

私としてもライブハウスに出演するきっかけがその出来事だったので、夏目栞のはじまりの出来事でもありました。

ーそういえば聴いたことなかったけど、僕がツイキャスを見に行く以前はどういう活動をしていたの?

大学1年生の時にギターを買ったんですけど、基本的な「C」のコードが押さえられなくて・・・

ー普通「F」のコードとかで挫折するんだけど・・・「C」だったんだ・・・?

「C」から始めたのに「C」が弾けないから「なんだよこれ」って思ってすぐにやめてしまったんです。楽器ってもっと簡単にカッコよく弾けるもんだと思ってた。

ー確か僕がしいやんのツイキャスを見に行った当時はしいやんは大学2年生で、その時はかなり弾けてたと思うんだけど。

えぇ!?そんな弾けてなかったですよ!

ー当時連日50件以上のツイキャスを見に行ってた中では弾けてるほうだったと記憶してるけど

弾けてたかどうか、今となっては定かじゃありませんけどね。

ー楽器に挫折したしいやんがあの時に弾き語り放送をするまでに至ったのはなにかきっかけが?

大学1年生の春休みだったんですけど、当時ノロウィルスとインフルエンザに立て続けに感染したんですよ。ノロウィルスが治ったと思ったら、病院でインフルエンザをもらってきてしまって・・・おかげで数週間ポカリしか飲めないような生活を送っている中、寝てる時間があまりに暇だったんです。Youtubeとかもひとしきり見たいものを見終わってしまって・・・たまたま携帯をいじっている時に見つけたのがツイートキャスティングだったんです。

ーで、弾き語り放送?

いえ、楽器は挫折して弾けなかったので、雑談、アニメ声カテゴリで(笑)

ーあるあるといえばあるあるだけども(笑)

まぁ、それで放送をしていくうちに、ギターがあるんだから弾き語りもできるなと思って大学2年生の春先からギターを再度はじめたんです。

ーいろんなきっかけがあってだと思うけど、一人暮らしだったってのも大きい要素だったんじゃないの?

そうですね、実家では音楽できなかったんですよ。初めて音楽をやりたいなと思ったのは中学1年生の時だったんですけど、部活選択の時に吹奏楽部を選択しようと思って、お母さんにその事を話したら「うちの吹奏楽部は強くもないし、土日勉強に使える時間も取られるからやめなさい、やったって意味がない」って言われて、それで結局放送部とかに入って。

ーすごいね、音楽を本格的にはじめる前にいろんな状況に挫折させられてきたんだね。

そうなんですよ、はじめるまで本当に長かった!

ーでもなんで弾き語りだったの?バンドでもよかったじゃない。

弾き語りをはじめたきっかけはツイキャスでもあったんですけど、実はそれより前、東日本大震災の時に見た「LIVE福島 風とロックSUPER野馬追」というイベントが衝撃的だったんですよ

※2011年9/14~19の6日間・福島県6会場に渡り、「LIVE 福島」実行委員長を務める郡山市出身のクリエイター箭内 道彦 氏が中心となり開催された野外ロックフェスイベント。奥会津・会津若松・猪苗代・郡山・相馬・いわきの6会場で開催された。

ー確か夏目さんの出身て福島だったよね?

はい、いわき市です。当時私が住んでいたいわき市にも箭内さん率いる風とロックが来てくれたんです。
その時、初めて生の音楽を聴いたんです。これまで親に止められてたりでライブ会場などに足を運べなかった私が生まれて初めて生のライブを浴びて・・・サンボマスターさんや高橋優さん、そして怒髪天さんが放つパワーが凄まじくて。雨が降っていたにも関わらず、そこにいる全員がただ一点だけを見つめて動けなくなってたんです、もちろん私も。こういうのすごいことだなって。

ー誰かの「日常」に寄り添う形の「非日常」になるパワーを全身で浴びた初めての経験だったんだね。

それで私もボヤーっと「やってみたいなぁー」って思って大学1年生の秋にバイト代を貯めてギターを買ったんです。

ーそこから挫折し、紆余曲折あったりでツイキャスをはじめて、ツイキャスで変なおじさんの僕に引っかかると。

変なおじさんに引っかかりました(笑)

ー今まで挫折とかでスタートが遅れていた分、動き出してからはあっという間に自分を取り巻く環境が激変したんじゃないかと思うんだけど

変わりましたねー、ライブハウスに出始めてからの1年間は本当に怒涛の変化でした。

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ー当時初めて四谷天窓に出演した「しいやん」は大学生丸出しで「みんなと仲良くしたいです」オーラを出した・・・色に例えるとパステルピンクみたいな感じの雰囲気だったもんね

声はアニ声ですしね。

ーそこから随分と変わって・・・・

なんか「ガン!」って叩いたら今まで押し込められてたものがドチャーっと出てきたんですねきっと。

ービジュアル面でも「白」から「黒」くらいの変化だよね。

そんな黒くないですよ私!(笑)でも当時の私は茶髪でロングでふわふわだったのに対して、今は対照的であるのは確かだとは思います。

ーそんなふわふわなしいやんが出演した「天CAS」も1年間を通してどんどん新しい出演者が増えて変化していったのだけども、イベントの変化と並行して「しいやん」も少しずつ変化していった

出演するたびにアドバイスをもらうんだけど、それが課題みたいにのし掛かってくるんですよ。初めて出演した時も「自分の歌をもっと作ったほうがいい」って言われて、「やばい、作らないともう出してもらえないかもしれない!!」ってめちゃめちゃ焦ってあれこれとやった記憶があります。

ー当初はカバーが主体だった天CAS出演者にはみんな言ってたなーそれ(笑)

ライブする度に怖くて泣いてたような気がする(笑)

ー四谷天窓はそんな怖い箱じゃないです!!!!(笑)

褒められても泣いてましたもんね当時の私・・・。

ーそうして色んな人に転がされ、泣かされて、自分の曲もいっぱい出来て、出演する箱も増えてね。

関わる人の数も圧倒的に増えていって、お客さんもそうだけど、天窓に出演しているアーティストさんと共演する機会も次第に増えていって、そしたら自然と外にもそういう機会を作っていただけることが増えましたね。

ー当時最後のツイキャスブームの中、しいやんは本流にドワーっと乗りながら進んで行ってたイメージ。

そうなのかな?でも本当に色んな出来事が目まぐるしく流れていった気がします。

ーその流れの中、沢山の価値観やメッセージに触れて、「しいやん」という形が次第に「夏目栞」という形に変わっていったような気がするね。

そうだと思います。

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ーそして、しいやんとしては最初で最後となる自主企画「日々の栞」を2015年のGWに開催するわけだけど。

あ、あれってライブ初めてから1年経ってなかったんですね!

ー確か俺が企画やろうよって誘ってから、随分と返事もらうまでに時間掛かったのを覚えてるよ。

かかりましたね時間。自分の中で「企画」ってものを考えたくてすごい待たせました。

ーあ、そういう待ちだったんだあれ

企画やろうよって誘われてから色んな人に「企画やるかもなんでしょ?」って言われて・・・「人が沢山入ったら成功じゃないよ」とか言われながら「わかってます・・・。」って答えつつ、企画なんかできんのかわたしがー?って部分で中々踏ん切りつかなかったんです。勇気出るまで時間かかりました。

ー確か当時「失敗したら失敗しただよー」と無責任なことを言った記憶があります。

言われましたねそれ(笑)でもやるからには失敗したくないし、私が企画をやる時に、私のお客さんに見て欲しい人を集めたいって、私が尊敬する人しか集めたくないって気持ちで企画やることにして、思い切ってオファーを出したんです。そしたら最初に出て欲しいなって思った人が幸運にも皆さん快諾してくれたんです。

ーその時もさらに無責任なアドバイス「私生まれて初めての企画をするので出てください」って言おう、脅迫しようみたいなことを言ったのを今思い出した。

全く酷いアドバイスでした(笑)でも皆さん快く出演してくれたからよかった。最初に打ち合わせをした時も、身近な人じゃなくて、初企画って立場でちょっと無理めなとこをまずは呼んでみようよって言われたから、全員が希望通りに決まって、そこからはその人達に囲まれて自分がトリをやるという重圧に潰されそうになりました。

ーそんな思い悩むしいやんに「タイトルどうしましょ?」って聞かれて、「たのしいやん」でいいじゃんって無責任に言ったこともついでに思い出しました・・・。

絶対いやー!!って言って、結局色んな人に聞いて考えて「日々の栞」になりました!その時も「いいタイトル決まらなかったら「たのしいやん」で決定ね」っていじめられました(笑)

ー俺はいいと思うんだけどなぁ・・・「たのしいやん」

絶対に嫌です!!!

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ーそしてしいやんとしての最初で最後の企画当日、活動名を「しいやん」から「夏目栞」に変えての活動がスタートするわけですが。

はい。

ー「日々の栞」のトリをやった時、今でも鮮明に覚えてるんだけど、そこにはもうゆるふわで大学生丸出しの「しいやん」はすっかり姿を変えていて、「夏目栞」がそこにいた。そんなライブだったなと思って。部屋で弾き語りを発信する「キャス主」から「アーティスト」ってものに変わった瞬間を目撃できた、本当に貴重な体験をさせてもらったなと思ったよ。

自分でも結構決別したいって思ってたんですよ。「あいつインターネットの人だろ?」って思われるのは別にいいんだけど、初めて会場で私を見る人に先入観をもって見て欲しくなかった。あと挨拶の時とかも「しいやんです」だと何だそれ?ってなるけど「夏目栞です」って言うと挨拶しやすいんですよね。

ー名は体を表すとはよく言ったもんだけど・・・この解明を機に共演者の顔ぶれもズラッと変わっていった印象あるね。

そうですね、今までは同じ境遇の「キャス主」さんと共演することが本当に多かった中、名前を変えた瞬間にSSWとしてライブハウスを主な活動の場としているアーティストさんとの共演が増えました。それも一気に重圧でした。自分的にすごく苦しい時期だったかも。

ー土俵が変わったとは確かに思う。仲良し楽しいってイベントからお互いがお互いを高めあい潰しにくるような「戦い」の空気がある現場が増えたんだろうなとは思うよ。あと箱的にも企画後にそういう対バンにしていこうって思ってたし。

やっぱそうだったんですね(笑)

ーそりゃあね(笑)それでも「ツイキャス主」という肩書きを自ら捨てて行く姿勢はその後の天CASに出演していた子達へも影響を与えたと思うし、僕としては「しいやん以前、夏目栞以降」って言い方を使ってもいいとすら思うくらいに全体の流れは変わったんじゃないかと思うよ。

そんな大きい変化があったのかは自分じゃわかんないです。でもその姿勢のおかげで悔しい思いも沢山しましたよ。例えばインターネットの人であった私を応援してくれていた人で、1度だけ生でライブを見に来てくれたけれども、何かが違ったのか「ネットの私」だけを応援する姿勢になった人もいた。それはそれでいいんだけど、私としては悔しいです。たった1回でライブの現場に引っ張れなかったのも悔しいけど、何よりもう生の私は見に来てくれないんだと思うとそれが悔しくてたまらなかった。

ー誰かを応援する姿勢は人によって様々だけど、「ネットの人」から「アーティスト」へ切り替えた身としてはやはり現場に来て欲しいと?

それだけが音楽の楽しみ方ではないので、人それぞれでいいと思います。だけど現場の私は日々変わっているから、その変化すら楽しんでもらえたらなって思うと、生のライブを見てもらったほうが伝わるとは思うので、たまには生でも見て欲しいですね。でもネットだけでも応援してくれているのはとても嬉しいんですよ。

ー無関心よりは応援してくれてるか嫌ってくれるほうがね。

そうですね。嫌いなら嫌いでいいと思ってます。でもネットの私もライブの私もどっちも私なので、どっちも受け入れてもらったら嬉しいなって思います。

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ーさて、夏目栞を随分振り返ったと思うんだけど、ここからは質問の感じをちょいと変えて、1個聞きたいことがあるんだけど・・・夏目栞のライブ感、考え方や感覚を変えてしまった共演者とかっていたりした?

いましたよ、沢山。それこそ外に出てそういう人たちやイベント沢山ありました。

ーたとえば?

天窓で言えば・・・なのはさんが企画していた「四谷天窓Life」というお世話になってたイベントでOAをさせていただいた時です。あの時はまだ「しいやん」だった時ですけど。

ー何が他と違ったの?

会場の熱とお客さんの熱が一致する瞬間っていうのを四谷天窓で初めて感じた日だったんです、これまで出ている中で。最初から最後まで緊張感がお客さんにもアーティストにもあって、私はオープニングアクトだったんだけど、袖から見ながら「何これマジかっこいい」って手放しで思った1日だったなと。そういう意味では私はそのイベントを企画していた「なのはさん」にはとてもお世話になったというか、夏目栞の核の部分に少なからず影響している人物の一人なのかなって思う。

ーライブ後の清算の時や、プライベートでもよく相談したりしてるのを見かけるもんね。

そうですね、なんというか現実的なんですよ言葉のどれもが。だから言われたら泣きそうになることもあるんだけど、現実的だからこそ受け止められるというか。今インタビューしてるになみさんもすごく現実的じゃないですか。

ーアーティストに対して徹底的なリアリストであることが果たしていいことか悪い事かはわかんないけどね。あと夏目栞ってアーティストもかなり現時的な部分で物事を見ながら活動していると思うよ。俺はそこが好きだったりする。

私って現実的なんですか?えぇー!?

ー夏目栞になってからは特に現実的だと思うよ。ある意味では「夢みる少女」から「現実と戦うアーティスト」になった、なってしまったとも言えるのかも。良いのか悪いのかは時代が決めることだからわかんない。

ほら、そういうこと言うのが現実的なんですよ!

ー自分という現実と世の中の流れを並べて見れるリアリストってのは貴重だと俺は思うよ?そういう意味では夏目栞は常に自分のできる事のちょっと上を目指していき、世界を広げていくっていう最も今の時代に沿ったアーティストなのかもしれない。

目指していくっていうか・・・ぶっこまれてるんですよー!周りの人に!

ーそれはぶっこんでるんじゃなくて、こういうのどうよ?って言われてそれに乗っかることを君が選んでるんだって、そういう意味では自分で決めて、自分で選んでるんだよ夏目栞は。普通は怖くて乗っからないことのが多いよ

んー・・・もらったチャンスは逃したくないって思っただけなんです。あとは・・・自分に対して自信が全く無かったんです。今もないんですけど・・・色んな方からいただいた言葉が沢山重なって、それが少しだけ自信になってる部分もあります。

ー自信ないんだ?

そうですよ!「この話を断ったら、きっと違う人にこの話がいってしまうんだ」って考えたら乗っかるしかなかったんです。それはあまりに悔しいから。私が頑張ればいるはずだった場所に、勇気が足りないとか頑張らなかったからとかで別の人がいるのを見ているのなんて嫌だって思ったんです。だから現実と戦いながら乗っかりました。負けず嫌いですよねぇ・・・(笑)

ーその考え方がやはり非常にリアリストだと思う。だってその通りだもの、エンターティメントの世界って。まだ自分は何者でもないって思って何者かになろうとする姿勢がやっぱ俺は好きなんだよね。

あ、でも明らかに無理めなやつは断ります(笑)

ー引き際の良さを見習いたい!!!

(笑)

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ーそして、2016年 春に渋谷で開催されたサーキットイベントにて、満員の会場の中で突然の活動休止を発表する夏目栞さんなのですが

はい、このインタビュー中もまだ正式には活動休止中なわたしです。

ー何を思い、何を見て足を止めたのか、気になってたはいたんだけど、これを読んでる人も気にはなってると思います。

理由はいろいろあるんですけど、一番は家族にゆっくりと時間を使うことが必要だったんです。

ー家族って事は福島へ帰っていたと?

もちろん学校もあったので、ずっと帰っていたわけではないです。でも向こうにいる時間がもっと必要だったので・・・ライブを入れてしまうとそれに時間も囚われてしまうので、それで活動休止を決めたんです。

ー活動休止についてのブログで印象的な一文があって「気づいた時にはもう手遅れになってしまっていた」っていう言葉で、僕はこの言葉を見て、止まりたくて止まるわけではなく、止まらざる得ないために止まるんだなと思えたので、止まらざる得ない状況をなんとかしにいったんだなって、私は帰ってきますよって言っているように思えたんだけど

現在、絶賛活動再開の準備中です。

ー休止にも色々あると思うんだけど、例えば舞台から降りてしまう休止と、歩いてるんだけど表舞台は止まっているように見える休止と、ストップウォッチを止めている状態の休止と色々あると思うんだけど、夏目栞の休止はストップウォッチを止めていて、それをまた動かそうとしている休止ってことだったのかな?

そうですね、まさにそれでした。

ーそして今、まさにストップウォッチを再度動かそうとしている。っということは活動休止以前と再開後は変わらない夏目栞が見れるのかな?

んー・・・でも多少は変わってしまっているかもしれません。ストップウォッチは止まっていたけど、私自信は止まっていたわけではなく、色んなものを感じたり見たりしていたので・・・ちょっとは変わるかもしれない。

ー休止の間に色んなことが勝手に変わっていった故に、その影響を良くも悪くも受けるんじゃないかとは俺も思うよ。

どう変わるのか、はたまた変わらないのかは私自信まだわかんないんですけどね。

ーきっと、夏目栞がどうなったのかがみんな気になるから、活動再開ライブのチケットが売り切れてるんだと思うんだけどね。

天窓で再開。復帰最初のライブでトリですからね。めっちゃ緊張してます。

ーでもまた同じような状況なんじゃないかな?「日々の栞」の時と。

そうなんですよー・・・!

ーストイックに自分が今できることのちょっと上を目指していく状況がまた出来てきている。この流れはまたも見逃せないとは思ってますよ。同世代にとって、僕は夏目栞がある種のキーマンになってしまう星の元に生まれているような気がしてる。

そんなことないですよー!大袈裟な。

ー引き寄せてるとは思うよ。色んな人の思いが夏目栞になんでか集約してしまう。結果論だけど、こればっかりは近くで見てきた僕が体感していることで、活動再開後、その流れがどうなるのかは本当に気になるところ。

もーなんですかそれ。変に圧力かけるのやめてください。

ー夏目栞というケースを後の若いアーティストに見せたいなーとは思うよ。夢見るゆるふわ少女がこんなことになりましたって。

こんなことに・・・なりましたねぇ・・・。なんか本当に激動の1年でした。

ー最後に、今後の夏目栞について、夏目栞という記号を今後どう使っていくのか、なんか見えてたら教えて。

うーんライブをしていきたいですねまずは。音楽をやりたい。わたしの歌はみんなで飛び跳ねたりとか拳をあげるとかそういうパワーのあるようなものではないとは思うんですよ。だけど私が見た「LIVE福島 風とロックSUPER野馬追」のアーティストさんたちもそうではなかった。その日のあの人たちはパワーこそあったけれども、それは体を動かしたいとかそういう肉体的なパワーではなくて、心を静かに捉えて、元気付けるような、そんなパワーだったんです。だけどそれでも元気をもらえたんですよ私は。
嫌なことがあったら、必ず時間がなんとかしてくれるじゃないですか、でもその時間を超えるまでっていうのが一番苦しい期間だと思ってて、おこがましい話になってしまうけど、そういう期間に少しでも寄り添えたらいいなって思うんですよ。私がそうだったから。だから私は苦しい気持ちも歌にするし、楽しい気持ちも歌にします。だから夏目栞はそういう使い方をしてほしいなって思います。

ーそういえば活動休止中にちょこちょこライブ会場で夏目栞を見かける機会があったんだけど、休止期間中に一番ライブ見に行ったアーティストって誰だったの?

ちゃるけんさんですかね・・・?

ーあー!!なるほど、顔似てきたよね!

似てないー!!!絶対やだーーー!!!

インタビュー:になみ


10/10(祝月) @四谷天窓
四谷天窓×夏目栞共同企画
「ないしょのはなし」

夏目栞/廣野ノブユキ/岩田遼平/katagiri/綾目和人

18:30 op/19:00 st ¥2,000(1ドリンク別途¥600)
※SOLD OUT


11/18(金)@渋谷チェルシーホテル、
あおはるみぃレコ発企画
「あの子の憂鬱と君が笑った日曜日」

夏目栞/しまだあすか/篠山コウセイ/梨帆/湯木慧/yamagishi

18:00 op/18:30 st ¥2,500(ド別)


 

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夏目栞
1994/12/28

「自分の声で自分の歌を歌い零しています。」

2014年8月に四谷天窓presents 「天CAS」にて「しいやん」名義でステージ初出演。
少女らしさの残る可愛いらしい声と切なさが同居する歌声で辛辣な世界観を切り取るパフォーマンスが各地で話題を呼び、多数のイベントオファーが殺到する。2015年5月に開催されたしいやん企画「日々の栞」において活動名を「夏目栞」へ改名することを発表。
2016年4月に渋谷で開催された9会場合同サーキットイベント「HUG-ROCK-FESTIVAL-2016 春うらら」にて、ライブ終盤に突如として活動休止を発表する。
同年秋、【四谷天窓×夏目栞共同企画「ないしょのはなし」】の開催と活動再開をtwitter上にて発表、同公演をSOLD OUTさせ、10/10(祝月)に正式な活動再開ライブとなる。